2021-09

三遠

ブスの25ヶ条

宝塚歌劇団にある時期から張り出された一枚の紙に「ブスの25箇条」が記され、誰が貼ったか不明なものの全員が足を止め、見入った内容であったと言います。・笑顔がない・お礼を言わない・おいしいと言わない・目が輝いていない・精気がない・いつも口がへの...
三遠

南朝と斎宮

後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒すと、伊勢の斎王に自らの皇女である祥子(さちこ)内親王を当たらせ、建武政権が崩壊した後に、斎宮は終焉を迎えたとされます。『日本書紀』崇神天皇紀によれば、崇神天皇が皇女・豊鍬入姫命に命じ宮中に祭られていた天照大神を大和...
三遠

三嶽神社と隠された蔵王権現

後醍醐天皇の数ある皇子の中でも重要な働きをしたとされる人物が、静岡県西部に拠を構えていました。遠州の南朝拠点は堅固であり、ここを落とすために十万もの兵が導入されたとされます。井伊谷宮に祀られる宗良親王は、山上の三嶽城に籠城したとされますが、...
三遠

後醍醐天皇と蔵王権現

豊川市御津町の蔵王神社は、天明元年(1781)創建とされ、国常立尊を御祭神としています。三河吉野朝の本を読に記してある所では、この蔵王神社の御祭神は後醍醐天皇とされ、こちらの説が事実であるとする根拠に、地図上での様々な三河の聖地の関係図が描...
三遠

井伊氏と南朝

豊橋市の東、静岡県西部に位置する井伊谷は南朝の重要拠点でした。井伊直弼で有名になった井伊氏には、寛弘七年(1010)井伊氏の井戸で生まれた備中守共保を始祖とする伝承があります。井伊共資が渭伊社参詣時に井戸脇に神童を発見、我が子として育て娘を...
三遠

悪い天狗

南朝を探ると天狗が関わりますが、増長した僧侶が悪い天狗となったり、霊力はあっても人格的に問題のある悪行を好む天狗のイメージはどこから来たのでしょうか。鎌倉時代に記された『天狗草紙』は、南都北嶺(ほくれい)の諸大寺で僧侶が横暴で奢っていた姿や...
三遠

鎌倉の半僧坊

奥山半僧坊は三遠にありますが、鎌倉にも半僧坊が存在します。鎌倉にある建長寺の半僧坊は、霄貫道(おおぞらかんどう)和尚が、坊主にも俗人にも見える白髪の老人に、関東の清浄な処に招いてくれたら良い事があるよと言われる夢を見て、奥山半僧坊に出向き分...
三遠

半僧坊とダキニ天

奥山半僧坊の開祖・無文元選禅師が1350年に唐から船で帰国する折、台風に遭遇して危険な状況になると、法衣を着て袈裟をまとった鼻高の眼光鋭い一人の異人が現れ、船頭を指揮して水夫を励まし、博多の港に導いたとされています。豊川稲荷のダキニ天祭祀の...
三遠

奥山半僧坊

井伊家と南朝との関係は深く、井伊谷のみならず奥山半僧坊も、両者の関係で建てられたそうです。奥山半僧坊は建徳二年(1371)に井伊家一族の奥山朝藤の開基とされ、後醍醐天皇の十一番目の皇子であった無文元選が開山して建てたそうです。この寺には半僧...
風水

Siesta

執筆作業は脳疲労も激しいですが、気力もかなり奪われるので、喫茶店で纏まった文章を書いた後は、良く近くの公園で休んでいます。美味しい実のなる木がありますが、年に数週間程度しか実がつかないので、殆どは普通の木にしか見えませんね。美味しい実を与え...