
佐脇の地と三河行幸
豊川市御津町下佐脇字御所には、大宝二年(702)十月十日に持統天皇が伊勢より船に乗り御津の湊へ上陸した後に三河行幸した行在所跡地があり、近...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
豊川市御津町下佐脇字御所には、大宝二年(702)十月十日に持統天皇が伊勢より船に乗り御津の湊へ上陸した後に三河行幸した行在所跡地があり、近...
復古神道で有名な平田胤篤が三河に来た時、御津、御馬、御油等の貴い地名があったので、地名の由来を研究したそうです。 羽田八幡宮の羽田野...
豊川市上佐脇の佐脇神社のご祭神は大山昨命とされており、比叡山の守護神である日吉大社を勧請したものとされています。 明確に記録に残され...
『三河吉野朝の研究』は私が見ても若干間違っている部分がありますが、私は独特なラインで徐福研究をし、その上で分析しているので、ここは当時の状...
今までブログで色々と書いてきたええじゃないかの本を纏め上げて、出発する事になりました。 現代の日本人からは想像できない多くの日本人が...
浜松市を北上した平野と山脈の境目に、大宝寺が鎮座しています。 応永年間(1394~1427年)の創建であり、もとは袋井市の可...
『三河吉野朝の研究』の記述に謎の大宝天皇が登場してきますが、奈良県葛城市に大宝天皇社が存在し、由緒などは不明とされています。 大宝天...
豊川市に長慶天皇の墓と伝承される古墳が存在していましたが、この地に南朝が存在していた事は、ある程度の認知が存在していました。 ...
『青木文献』は正平二十三年(1368)三月、後村上帝崩御の後に即位した長慶天皇が吉野から三州御所宮に移住して法王となり、明燈院(豊川市御油...
出雲国造職の相続の儀・火継(ひつぎ)は、神火相続式とも呼ばれる火の儀式です。 前の国造が帰幽(死去)した際、新たな国造は喪に服す間も...