
佐脇の地と三河行幸
豊川市御津町下佐脇字御所には、大宝二年(702)十月十日に持統天皇が伊勢より船に乗り御津の湊へ上陸した後に三河行幸した行在所跡地があり、近...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
豊川市御津町下佐脇字御所には、大宝二年(702)十月十日に持統天皇が伊勢より船に乗り御津の湊へ上陸した後に三河行幸した行在所跡地があり、近...
豊川市上佐脇の佐脇神社のご祭神は大山昨命とされており、比叡山の守護神である日吉大社を勧請したものとされています。 明確に記録に残され...
今までブログで色々と書いてきたええじゃないかの本を纏め上げて、出発する事になりました。 現代の日本人からは想像できない多くの日本人が...
豊川市に長慶天皇の墓と伝承される古墳が存在していましたが、この地に南朝が存在していた事は、ある程度の認知が存在していました。 ...
『青木文献』は正平二十三年(1368)三月、後村上帝崩御の後に即位した長慶天皇が吉野から三州御所宮に移住して法王となり、明燈院(豊川市御油...
三遠の歴史について書いてきましたが、この西端にある御津(みと)神社は、御津郷十二ケ村(のちに十八ケ村)の総氏神として崇敬されてきたそうです...
地元の熊野神社に参拝したら、年に一度の大例祭がありました。 祭が始まり太鼓が叩かれた後、祝詞の奏上が行われると、中央の飾りがボトっと...
津島神社は社伝によると、欽明天皇元年(540)に鎮座し、弘仁元年(810)に正一位の神階と日本総社の号を奉られたそうです。 今まで歴...
秦の始皇帝の後に前漢が中国を支配し、漢代の中国知識人は植民地である朝鮮に関心を示していなかったとされます。 この時代の西北朝鮮には中...
朝鮮半島に現存する最古の歴史書とされる『三国史記』(さんごくしき)には、倭国について記された箇所が複数あります。 高麗十七代仁宗の命...