橘逸勢一覧

NO IMAGE

虚空蔵菩薩求聞法

空海の残した『三教指帰』には、虚空蔵菩薩の真言を一日一万回、百日に渡って唱え続ければ、優れた記憶力を得られる事が書き残されていますね。 ...

NO IMAGE

南都仏教の腐敗

一般的な平安時代の仏教の説明は、南都仏教が腐敗した事に対して、空海・最澄が唐から持ち込んだ仏教で一新しようとしたとする、分かった気にさせる...

NO IMAGE

最澄の帰国

空海が通説で言われるより前の遣唐使として渡唐していたなら、同期とされる最澄との関係も気になる所になりますね。 空海と最澄は同じ時期に...

NO IMAGE

空海・空白の七年

空海が24歳の頃に『聾瞽指帰』を書き上げてから唐に渡るまでの七年間の記述が存在していません。 密教を短期間で学んだ後に、死刑クラスの...

NO IMAGE

今毛人と大宰府

今毛人は宝亀六年(775)に遣唐大使に選ばれていますが、大宰府で準備をしても順風がなく、後に体調を悪化させた事から、渡唐を断念したとされま...

NO IMAGE

大伴氏と佐伯氏

大伴家持が大仏に使う金が東北で産出された時に歌ったとされる歌は、目にした事がある人も相応にいるでしょう。 葦原の 瑞穂の国を天降り ...

NO IMAGE

空海と蝦夷

佐伯氏は大和王朝の捕虜となった蝦夷の一族とされています。 佐伯今毛人(いまえみし)も蝦夷から来ていたとされ、今蝦夷とも言われたそうで...

NO IMAGE

今毛人の軍事行動

早良皇太子や大伴家持が長岡京遷都で活躍していた藤原種継の暗殺を企んだと伝えられてはいるのですが、数々の疑問が提唱されています。 『水...

NO IMAGE

宰相・今毛人

『水鏡』には藤原仲麻呂の乱の後、佐伯今毛人が宰相になった事が記されている事を考えると、空海が彼と関係していた意味が、余りにも重い物となって...