花祭の本には書いておいたのですが、
古代アジアにも鬼神信仰が存在していました。
儒教にも鬼神の存在に触れた箇所が複数あり、
古代アジアで鬼は悪なる存在ではなかった事が
原文にあたると良く分かります。
季路問事鬼神。子曰。未能事人。焉能事鬼。
曰。敢問死。曰。未知生。焉知死。
子路が鬼神の事を聞くと、孔子は言った。
未だ人の事が出来ぬのに、なぜ鬼の事が分かろうか。
あえて死を聞くと、孔子は言った。
未だ生を知らずに、なぜ死が分かろうか。
神社などの参拝もパワースポット化して
礼儀の無いケースがあったりします。
目上の人の家に乗り込んで小銭を投げて
一方的に頼み事を伝えるだけ伝え、
叶わなかったら文句を言って
叶っても礼儀を通さない様な事は、
人であれ鬼であれNGです。
孔子の言葉は人によって訳が大きく違いますが、
原文を読むと普通に鬼神と書いてありますね。
これ以外にも鬼神についての記述があり、
鬼神についての理解が深まります。
現代日本の儒教は原文に目を通すと、
なぜこんなイメージになったのか分からない程、
本来の姿とはかけ離れた訳が出回っています。
儒教では国家儀礼などを重視しているので
古代中国の神々についての考えを知れますが、
現代考えられている宗教とは違っています。
徐福は孔子の弟子の子孫とされているので、
儒教との関係を暗示している可能性があり、
古代日本に儒教の祭祀が入っていたのであれば、
鬼道祭祀についても理解が深まります。
故人が大事にした場所に行くに際しては、
彼らの考えを知った上で尊重できなければ、
参拝しても失礼になりかねません。
外人が神社参拝をすると教会に入る感覚で
土足で上ってくる人がいるそうですが、
悪気は無くとも好ましい行為ではないので、
事前に必要な事は知っておいた方が良いですね。
多少の小難しさや説教臭さはあっても、
情報を流している立場上の責任として
整備しておく必要を感じていますが、
図書館で本を借りて色々しないといけませんね。
本を書き終わってからやる気が起きませんが、
課題ばかり出てきて中々楽になりません。