柴崎古墳上の首塚

江戸より前の古地図を見ると、
首塚以前から存在した柴崎古墳は、
江戸城の真南の海に囲まれた柴崎村の
江戸湾が見渡せる岬の先端の位置に
描かれています。

江戸城を造った太田道灌の時代には
江戸城のすぐ南に岬があったのは、
新鮮な驚きがありますね。

岬と言えば神霊の出現前に出現する
御先(ミサキ)と言う霊的な存在が
関係しているかは定かではありませんが、
海から見たランドマークとしての
灯台が置かれる場所ともされますね。

現在知られている首塚となる以前の
明治二年(1869)の様子が、
織田完之著の『平将門故蹟考』に
記されています。

大蔵省玄関の前に古蓮池あり、
由来是を神田明神の御手洗池なりと云ふ。
池の南少し西に当りて将門の古塚あり、
高さ凡そ二十尺週廻り十五間許、
其の塚の傍ら古蓮池に沿って樅樹の巨大なる枯幹あり、
古への神木なりと云ふ。
東より西に向って苔石数段を登れば老桜樹あり、
枝を交へて右に聳へ、
また老桜樹の大なるもの古塚の背を擁して立ち、
其の他柯(えだ)樹の老大なるものあり、
森々鬱々として日光を遮ぎり、
白昼も尚晦く陰凄として鬼気人に迫るを覚ゆ。

 
高さ6m強、円周27m強の円墳の記述ですが、
柴崎古墳は前方後円墳だったようで、
それ程大きい古墳ではないですね。

北関東に行くと稲荷山古墳などの
巨大古墳が存在していますが、
大きさだけで見れば有力者の墓かは
何とも言えない感じがします。

徳川により埋め立てられる前は
海に面した地にあったので、
ランドマーク的な意味があったのか、
墓ではなく司祭装置であったのかは
推察の域は出ません。

この古墳には一般的な古墳と違い、
もう少し別の意味が存在していたようです。

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