明治期に来日したスコットランド人ニコラス・マクラウドは、
日本と古代ユダヤとの相似性に気付いて調査を進め、
世界で最初に日ユ同祖論を提唱した人物とされています。
日ユ同祖論は、明治11年に日本で記された
The Epitome of The Ancient History of Japan
(『日本古代史の縮図』 長崎日の出書房)
により始まったとされています。
日本にユダヤ人が来たとする説には
幾つかの種類があるようですが、
ユダヤ人の定義自体が曖昧です。
ユダヤ人と言う人種が来たのではなく、
ユダヤ教を信仰していればユダヤ人なので、
DNAを調べても意味がないですね。
私の研究ではユダヤ人は大きく二段階で渡来し、
片方が倭国大乱で卑弥呼をたてる原因となった
戦争を起こした勢力の侵略であり、
片方が壬申の乱周辺ではないかと考えています
壬申の乱の周辺で武即天が三つの一神教を保護し、
その一つはユダヤ教ではなく景教とされているので、
ネストリウス派キリスト教徒が渡来したとすれば、
定義上ユダヤ人とするのも問題がありそうですね。
私が扱っているのが倭国大乱以前の古代王朝で、
一神教的でなくヘレニズム的なものですが、
日ユ同祖論には失われた十支族が登場します。
ソロモン王の死語、南北に分裂したイスラエルは、
ペルシャによりバビロニア捕囚から解放された後、
パレスチナに帰還したのが南朝ユダ二氏族で、
北朝イスラエル十支族は行方不明になり、
その行方が調査されていると言われています。
アケメネス朝ペルシャの国教である
ゾロアスター教と集合する事により、
一神教的なユダヤ教が成立したなら、
それ以前は別の形態の信仰が
存在していた可能性は濃いでしょう。
モーゼは黄金の子牛の像を祀る民を虐殺し、
バール神の預言者と戦っていますが、
これらの信仰が古代ユダヤに存在したのは
間違いのない事でしょう。
日本には牛の角を生やした鬼神の祭が存在し、
一神教を弾圧したアレクサンダー大王は
角を生やした兜を被った事で知られ、
イスカンダル双角王と呼ばれました。
アレクサンダー大王が古代イスラエルの信仰を
歴史研究により認知していたのなら、
ユダヤ教徒がアレクサンドリアにおいて
高い地位を確立していたとされる伝承は捏造で、
ユダヤ教にも弾圧が加られた可能性があります。
旧約聖書のテーマは兄弟対立であり、
兄を騙して力づくで権力を奪いますが、
これはギリシャ神話や岩戸開きにも関わり、
南北朝の問題にも繋がります。
日本とユダヤの深層を探るなら、
アケメネス朝ペルシャにおいて
ユダヤ教が確立する前の古代ユダヤを
研究する必要があるのでしょう。
その痕跡も日本に存在するのかも知れません。