古事記は稗田阿礼(ひえだのあれ)により
作られたものとされていますが、
この周辺には多くの謎が存在しています。
稗田氏は天鈿女(アメノウズメ)命を祖先とする
猿女(サルメ)君の一族と神話に連なる氏族とされ、
猿女は十一月の中の寅の日に行われる鎮魂際で
舞楽を行う存在とされています。
阿礼は甲寅の年に生まれ甲寅の年に古事記を選上したと
何かと作られた感の拭えない伝承があります。
甲寅は神武天皇即位の年でもありますね。
私も古事記は景教(ネストリウス派キリスト教)徒が
聖書にギリシャ神話を被せたものと仮説を立てています。
アイデルバーグは神武天皇が旅立った甲寅の年を
「キニヤン・トラ」でトーラーを授かるとしました。
この熟語は6世紀以降に使われ始めたとされ、
景教徒であればワンチャンありそうですが、
周辺情報を総合的に検討する必要がありますね。
稗田阿礼の甲寅もこれに類するのであれば、
古事記=トーラーとなりそうですが、
古事記における神が神を生む系譜と
聖書の人の系譜は恐ろしいほど似通っています。
賀茂神社には御阿礼神事が存在していますが、
賀茂祭の宣命の例文には阿礼乎止女阿礼乎止己とあり、
神の依りつく乎止女(をとめ)・乎止己(をとこ)を
表現しているとされています。
阿礼は神の依代(よりしろ)とされますが、
私は徐福がギリシャ神話を持ち込んだ可能性を
今まで多角的に展開してきているので、
ここでも新たな仮説をたててみようと思います。
ギリシャ神話の継承は詩人によりますが、
ミューズに祈る詩人を稗田阿礼として
表現したのではないでしょうか。
阿礼が一神教側に結びく可能性も
一応考慮はしてみたのですが、
西田長男氏は賀茂祭の阿礼乎止女を
「阿礼は神妻・神母に関する語」とし、
女神であればアナーヒターかマリアか、
目ぼしい対象は限られて来ますね。
ここの深堀りは他の人がやりそうなので、
ウズメとマリアとの関係などについては
あえて私がする必要はなさそうです。
アメノウズメも二系統あるとする説を
本に纏めようかと思った事がありますが、
現状からするとやらずに終わりそうです。
古事記とギリシャ神話の類似性に
説明をつけるとすればミューズですが、
どの様に解釈なされるでしょうか。
稗田阿礼は柿本人麻呂と同時代の人物で、
両者の関係を指摘する説もありますが、
追々この部分も掘り下げるかも知れません。
一応、郷土史の研究のために様々な本を読み、
日ユ同祖論も検討してみた事はありますが、
断片的に説明できる要素は幾つもあるものの、
これだけでは筋の通らない物証が多くあり、
私なりに研究した成果を公表しています。
偏らないように肯定・否定の両面から
検討しているつもりなのですが、
データと根拠を提示しているので、
どの程度正しいかを本人で検討し、
後の研究に繋げて下さい。
完全に分からないところも歴史の面白さで、
男なら無駄な努力と分かっていながら
ミニスカの写真を斜め下からガン見する様な
分かりそうで分からないギリギリの醍醐味を
理解できる人は多いと思います。
完全には分からなくても研究が進めば、
それはそれで知的好奇心が満たせますね。
郷土史の研究からの地域振興を考えると、
実地の制約で出せない研究も多いので、
特性を踏まえた上で様々な楽しみ方が出来る方が、
懐が深くて良いのではないかと考えています。