岩清水八幡宮参拝

志多羅神事件は岩清水八幡宮が目的地とされ、
この神社で託宣をするとしたそうですが、
勉強不足なのか具体的に何と言ったのかを
目にした覚えがありません。

用事のついでに岩清水八幡宮に参拝すると
広大な敷地の中に神社が沢山あり、
散策していると三女神社があったので
安曇族との関わりを疑いましたが、
1042年に宇佐神宮から勧請されたそうで、
かなり後の話なので関係性は不明です。

岩清水八幡宮には八角堂が存在し、
阿弥陀如来が祀られていたそうです。
健保年間(1231~1239)に古墳の上に
建てられたとされているので、
これも志多羅神事件より大分後です。

聖徳太子の夢殿は八角形とされており、
飽海神戸神明社の八角の儀調場は
鬼と天狗が戦う重要な場所なので、
鬼道に通じるか掘り下げたいのですが、
図書館で郷土史料を読み漁れるのが
地元の歴史研究の強みですね。

図書館で検索をかけて本を取り寄せ
ビンゴを引くまで読み漁るのは、
地元でないと難しいところがあり、
取材費をもらって何日か宿泊でもしないと
遠方の調査は厳しいところがあります。

違和感のあるところを掘り下げていくと、
歴史を書き換えるクラスの情報に
突き当たる事が結構あるのですが、
大枠の流れを出して各々の地域の人に
研究を繋げていってもらう方が良さそうです。

実地調査に行っても結局大した収穫はなく、
文献情報をベースにした仮説になりますが、
志多羅神事件に関わる八幡神と天神(道真)は
平将門の乱と密接に関係しています。

将門公は八幡大菩薩の使者とされる巫女から
帝位を授かり新皇を名乗ったとされ、
道真が死んだ年に生まれた事から
道真の生まれ変わりともされています。

情勢不安に起因する体制変革の願いが
八幡神や天神信仰と結び付けられたなら、
志多羅神事件と平将門の乱の伝承は、
同一の文脈から語る事が出来そうです。

菅原道真は政治の変革にはもってこいで、
疫病を起こして権力者サイドを不安に陥れた
祟り神としての威光は凄まじかったのでしょう。

時代の流れとしては武家政権に移行し、
鎌倉幕府による東国独立に至るので、
江戸に連なる流れが出てきた時代の事件で、
社会変革に一役買ったのは確かでしょう。

江戸末期にも類似した現象が起こりましたが、
時代の節目に影響を及ぼした力との深層には、
一体何が存在していたのでしょうか。

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