宗教問題へのスタンスの明示

日本史や郷土史研究をしていると、
修験や仏教、神道、儒教などを始め
様々な宗教が深く関わってくるので
神々について執筆をしてはいるのですが、
特定の宗教への勧誘目的ではないので、
スタンスを明確にした方が良さそうです。

どこまで書くか迷っていた話ですが、
現場での様々な問題も見てきているので、
批判覚悟で耳に痛い事も書こうと思います。
参入者が注意する事で低い水準を超え、
より高い水準で動けるためにも必要かと。

易経に天火同人と言う卦が存在し、
この二爻が宗教と関係しています。

志を持って研鑽を積む事によって
ある程度分かってくる段階になると、
慢心が出てくるケースがあり、
道を外れて小さい集団を作り、
お山の大将になる事が言及されます。

「宗において同人す。吝」とありますが、
ケチでしみったれた行為の事ですね。

明治以降の新興宗教からの流れでは
お手軽に教祖化できる傾向があり、
社会的な歪みに対応しようとする分には
責任感のある行為として評価出来ても、
中途半端で慢心すると危ないですね。

都合悪い事をプライド保持のために
都合良い教義で誤魔化しを入れたり、
他から恩恵を受けているのに礼儀もなく、
上から目線で批判して踏み倒す行為などは
実地でかなり見受けられます。

中途半端な段階での慢心なので、
大勢が当事者となる問題があった時、
争論賛成・各論反対の押し付けも多く、
人を利用して旨いところを持っていき、
都合の悪い事は裏で誤魔化す事も多いです。

自分がやると苦労が多く金もかかるのに、
人に説教垂れて成功したら俺が育てたで、
問題が起きたら相手の責任にするのは、
御教えを垂れながらどうかと言う辺りです。

平時であればどんな理屈も通りますが、
有事になると簡単にメッキが剥がれるなら、
本物ではない事になりますね。

極めた人ほど自分からは吹聴せず、
ただの人にしか見えない事は多いので、
この段階が一番危険なのでしょう。

ビジネス界でも昔を知っている人から
最近は小物どころか超小物が殆どだと
言っているのを聞きますが、
気宇壮大と言う言葉は経済界で
殆ど聞く事はなくなりましたね。

地元や神社に優れた歴史が存在した時、
本人がそこまで優れている訳でないのに
大物ぶる事の出来る道具として扱い、
無責任な運用をしたとすれば、
共有財産の着服と同じです。

継承されてきた遺産を食い潰し、
ツケを後世に押し付ける行為は最低なので、
運営に関しては易経で言うところの
「飛龍天に在り」を目指したいものです。

易の述べる注意点としては
龍が群れても上に立たないように、
どちらが上だと張り合うような
小物的な集まりにならないよう、
三遠には時代を動かす大物が集まり、
優れた成果を挙げる事を願っています。

三遠の徐福王朝にアショーカ王の仏教が
持ち込まれた可能性を書きましたが、
彼の残した碑文に刻まれた精神こそが
現代宗教に必要なものと感じられるので、
最後に記しておこうと思います。

私は、出家と在家のすべての宗派を、
布施と諸々の供養により崇敬するが、
すべての宗派の本質を向上させるような
布施や供養は存在しない。

本質は多様な手段で向上するが、その根本は、
不適当な時に己の宗派の賛美や他の宗派の非難をせず、
それぞれの時に温和であるため、言葉を慎む事であり、
他の宗派を各々の表現で尊敬すべきである。

もしかようになせば、自己の宗派を向上させ、他をも高める。
かようになさねば、自己の宗派を損ない、他をも害する。

すべて己の宗派に対する帰依から、己の宗派を輝かすために、
己の宗派のみ賛美し他を非難する者は、
この行いにより殊のほか己の宗派を損なうが故に、
互いに法を聴き、和合するのが善い。

なぜなら、私の願いは、すべての宗派を博学にし、
真の教義をもたす事だからである。

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