日本のソロモン神殿

古事記と聖書の研究をした『聖典の暗号』には、
古代史上の謎とされる欠史八代について
詳しい説明が記述されています。

古事記と聖書の系統図が共通している事から、
これに対応させて古事記を読み解くと、
古代史研究者の中で実在が危ぶまれていた
初代から十代の間の八代の天皇の記述に、
明確に対比されうる部分があるそうです。

神武天皇の東征はモーゼのシナイ半島侵攻と
酷似したルートと辿っているのは有名ですが、
モーゼが昇天した後にヨシュアがこれを継ぎ
カナンの地を征服しています。

神武天皇はこの二人をモデルに記されており、
十代の崇神天皇がダビデ王に対応しているそうで、
中間の八代は士師記に記された八人の民族的英雄に
対応しているとする説が展開されています。

となると十一代天皇はソロモン王に対応し、
この時期に造られたとされる伊勢の神宮は、
ソロモン神殿を意味している事になります。

壬申の乱の後に武即天の保護した
三つの一神教が日本に入ってきた時、
景教徒(ネストリウス派キリスト教)により
古事記が編纂され伊勢の神宮が建立されたと
確証は高くないものの仮説を立てていますが、
一応の説明はこれでつきますね。

八世紀初頭に編纂された大宝律令で、
神祇制度がはじめて体系化される中、
天皇家の氏神の性格の濃かった天照大神が
最高の地位を得て国家的な性格を持ったと
一般的に解釈がなされている様です。

これも壬申の乱の後に行われた事で、
古事記・日本書紀の編纂により
先住民族王朝の歴史を抹消した後に、
神社の頂点に立った事が分かります。

古代ヤマトにはギリシャを始めとして
様々な民族が国を作っていたとする研究は
何冊か本に書いておきましたが、
魏志倭人伝には百余りの国が記され、
これらは全て野蛮人扱いされています。

伊勢は内宮と外宮では系統が違い、
伊勢神道と呼ばれるものは外宮のもので、
内宮より先に外宮を参拝します。

古代ヤマトの実相を追求するには、
外宮の歴史を掘り下げる事が重要であり、
卑弥呼の鬼道や徐福に連なる深層が
横たわっている事が見えてくるでしょう。

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