志多羅神と藤原純友の乱

志多羅神事件と藤原純友の乱は
起きた時期が近いだけでなく、
西日本での事件ともされています

海賊とされた藤原純友の乱ですが、
海洋民族の安曇族と関係していたかは
調査したいとは思っているものの、
史料不足で追及が難しいですね。

純友を祀った神社がありますが、
島に渡らないといけないので、
かなり余裕がないと参拝は厳しいです。

安曇族は渥美郡や飽海神戸神明社の
名前の由来となっているように、
鬼道を行っていた部族であり、
北九州に拠を構え交易で栄えたと
伝えられています。

純友の最後が大宰府と関係するのも
安曇族との関係をにおわせますが、
彼が平将門の乱と関係付けられたのは、
やはり抑圧されてきた先住民族が
圧政に立ち上がり独立を勝ち取り、
支配が崩れる懸念からなのでしょうか。

平安時代も優雅なのは都のみで、
蝦夷との戦いなどが行われつつ、
政治的策略等がうごめいていました。

平将門のみでなく藤原純友も、
歴史の真相を探れば逆賊ではなく、
圧制に苦しむ民を救うために
戦った英雄であった可能性は、
ある程度はありそうです。

西日本の現地調査は厳しいので、
地元の方で純友神社に参拝に行き、
聞き取りを行う方がいらっしゃれば、
是非とも情報提供をお願いします。

悪者の汚名を着せられた者達の復権も
このブログの目的の一つではありますが、
ワンピースで海賊のイメージは向上しましたね。
彼も本来は素晴らしい存在だったのでしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする