鬼道と神道

花祭は熊野修験と関わり、
熊野といえば九鬼氏ですが、
九鬼はクカミと読まれるように、
鬼と書いて神と読みました。

九鬼の鬼の字は上に点がなく、
飽海神戸神明社の鬼祭でも
この字が用いられています。

九鬼家は熊野修験と繋がりがあり、
ウシトラコンシンと鬼門八神を祀る
高御座山の高御座神宮の祭祀も
九鬼により祭祀されています。

花祭で榊鬼と問答する度会氏は
伊勢外宮の神主であり、
外宮から伊勢神道が唱えられ、
神道の源流を作っています。

花祭に登場する鬼が神であり、
卑弥呼の用いた鬼道であったなら、
鬼道はキドウではなくカミミチで、
神道を意味していたのでしょうか。

原初の神道のメッカが三遠であり、
日本の中心地であるこのエリアに、
古代祭祀の重要な聖地が存在するなら、
神道関係者全てに関わる聖地となり、
その原点に位置する事になります。

度会神道は神と仏を同列に扱いますが、
神仏の上下関係は蘇我氏と物部氏の戦いから
継続した思想に位置付ける事ができます

これは聖徳太子の時代の出来事ですが、
聖徳太子自体が壬申の乱の後に
景教徒がキリストを元に創作した存在なら、
神仏の抗争の意味は何だったのでしょうか。

壬申の乱で天武天皇と共に戦った役小角は
神と仏が混在する修験道を行じており、
この時代には神仏が共存していた事を
推察する事ができるでしょう。

聖徳太子の仏教は一神教の影響を受けた
大乗仏教の事を指しているのでしょう。
これが先住民族の信仰を追いやった事が、
蘇我・物部の対立として取り込まれたのか、
蘇我蝦夷と物部守屋は蝦夷とモリヤの
戦いを象徴しているのでしょう。

古代ヤマトではアショーカ王が
様々な宗教を互いに磨きあわせたり、
アレクサンドリア大図書館において
包括的な研究なされたように、
対立構図にはなかったのでしょうか。

花祭が修験の祭とされているのも
古代王権に由来しているからであり、
その時代の雰囲気を感じられる
希有な祭でもあるのでしょう。

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コメント

  1. シャイニー より:

    判官贔屓の人間は変な事象を拾ってしまいます✨
    役の小角は鬼の夫婦を連れていたとかいないとか 信奉者が居たのは当然ですね☺️
    最近は鬼が話題になりますが まつろわぬ民を悪し様に記録したものが正史としたものだと思います どれだけ悔しいか 上宮家は「戦を起こしては民草が痛む」と敗けを選んだと梁にヒモを結ぶときの心情を思います
    古代の王朝を過小評価するお方もいます
    紙面で書き勝つ それは固有名詞の単語量の違いのような?
    その時々を治める方便もあるかと思いますが 中国のように次の政権が史を使い忖度なく書き残す 彼の国の底力を思います
    地元の言い伝えに心情が滲み出ますけど もうそれも「語り部」がいなくなります
    なかったことで先に進むのでしょうか?
    次に飼う子は「雪丸」にしようと