神道系統の新興宗教の人いわく、
教団内部の人が神懸かる事により、
頻繁に分裂し教祖が多いと言った話が
あると言う事らしいです。
神から聞いた歴史をベースに
色々な教義を立てて教祖になり、
御神業を行う等があるようですね。
全ての団体がマトモであれば良いとして、
全く違った歴史を語っている所が多く、
気持ちの良い神社だと思っていたら、
そこで御神業を行ったと聞き行ってみると
雰囲気が最悪になっていたりするなど、
微妙な問題が実地で数多くあります。
聖地の情報が流れるとスピリチュアル関係や
霊能者などが色々な事をしに行って、
現地の人達とトラブルがあるケースもあり、
私が歴史情報を全て流していないのも、
その辺りへの対策も含まれています。
私の歴史研究が神から聞いた内容と違い、
信者に関わらせないよう裏工作された話を
小耳に入れた事があるのですが、
優れた人間だと驕り無責任な言動をすると、
後で違う情報が出て来た時にマズイですね。
まあ良い大人であれば責任を誤魔化さず、
踏まえる事を踏まえやる事をやっていれば、
それ程問題は起こらないとは思いますが、
驕って都合の悪い事を見ないようにすると、
後々ツケの支払いが大変になります。
江戸時代は識字率が世界最高水準であり、
寺子屋等の学問レベルが高かったので、
お手軽に教祖様になるのは難しかったのに、
簡単に大物振れるのは現代教育の弊害ですね。
神社でもサラリーマン神主どころか
経営者にならないと厳しい所が多いらしく、
清廉潔白か倫理に欠けた経営かの
二択に悩むケースもあるそうですが、
両極端なものは中庸に欠けます。
孔子自身が国際ビジネスマンでもあったので、
道理に合致しバランス感覚の高い経営は
五経を読んでいれば可能だと重いますが、
財神として祀られる孔子の弟子もいるので、
経営書として儒教経典を読むと良さそうです。
このブログもアレクサンドリアに因み、
大図書館の高度な知的活動を推していますが、
真理を悟っているとマウントを取り合わず、
古の水準の復活のために研究が一役買えば、
時代的な責務を果たしたと言えるのでしょうか。