南朝は不公平な人事が元で足利軍が反逆し、
優れた時代とされた感じは受けませんが、
長慶天皇は歌合・和歌会を盛んに催しています。
長慶天皇は南朝で開催された五百番歌合に
その名を連ねているだけでなく、
南朝側の勅撰和歌集『新葉和歌集』にも
「御製」として五十三首入集しています。
当時の歌合・和歌会は高度に政治的な場で、
王権を権威付ける公的な文化装置としての
役割があったと見られています。
これは儒教経典を見れば書いてある事で、
『詩経』が存在するように詩が重視され、
宴会で催される歌舞をどう評価するかで、
その人の力量や見識がはかられた事は、
『春秋左氏伝』を読むと分かります。
『詩』は言に寺と書いても仏教と関係なく、
政祭一致の行政機関である寺で僧が説法し、
そこから仏教と結び付いたとされています。
寺で用いられた言には内政・外交のみならず
天神地祇への言葉も存在しているので、
日本で言うところの祝詞や祈願文も含まれ、
孔子がこれを弟子と話し合ったのも、
政治の実務に重要だったからのようです。
南朝は後醍醐天皇が真言立川流のような
キチガイじみた呪術に傾倒したイメージで
文化水準が低いものと思われていますが、
高い文化水準の痕跡が幾つも残されます。
現代日本では政治の場で詩を歌う事は
想像できないところがありますが、
『春秋左氏伝』には現場での事例を
数多く掲載し参考事例にさせていて、
南朝でもこれを読んで類推できる事を
行ってきた可能性は高そうです。
後醍醐天皇は宗学を重視したとされるので、
朱子学の本を読めば政治思想を理解できますが、
原文を読まず儒教を語る人が多いのに驚きます。
朱子学のイメージは原文の内容から乖離し、
聞きかじりで語られる部分が多いですが、
実際に読んでみて既存のイメージ通りか
自ら判断した後に語っておかないと、
無責任になりかねない要素があります。
論語を読んだだけだと解釈を間違えるので、
五経には最低限目を通す必要があります。
官僚には天の代理人としての責務があるとし、
道理に反して衰退した事例を多くあげており、
道理に精通して責任を誤魔化さないのを
政治や基礎とする思想は現代には皆無です。
利権などの目先の話しばかりで無茶をし、
やり逃げしようとしてもツケが来るのは
歴史を見れば枚挙に暇がありませんが、
経営においても一時的に天下をとり、
奢って没落する事例は腐る程あります。
美しい言霊が政治や経営の現場において
この国でも用いられていたとすれば、
儒教のイメージが悪い状況は悪害が多く、
言霊の幸わう国の復興の支障となりそうです。
南朝が終わり室町時代となって、
現代に至るまでの文化的な基礎が
構築されたとされていますが、
失われたものも多かったのでしょう。
『詩経』だけでも見直しを行う事で、
この国の復興に多大な価値がありそうです。