書経に見る南朝の政治思想

後醍醐天皇が朱子学を官学として導入し、
武士を初め多く学ばれたとするなら、
これを詳細に調べる事により、
南朝の政治思想を知る助けになります。

原文の具体的な記述を読まずに、
聞きかじりでは問題があるので、
『書経』の記述を見てみましょう。

翻訳の著作権などの問題があり、
もっと詳しく知りたい方は、
の方に当たってみて下さい。

皋陶は禹に語った。
「まことに徳を行うのであれば、民は助けともに行うでしょう。」
「その通りです。どのように行えばよいでしょう。」
「わが身を慎み、遠くの人にまでおよぶ思いやりを修め、
九族を手厚く親しむようにすれば、庶民は励み助け、
近くの民は喜び、遠方の民は慕って来るでしよう。」
「その通りでございます。」
「それは、人を知るに在り、民を安住に在ります。」
「ああ、どれもが帝でも難しい事です。
人を知るのは哲であり、哲であれば人事を良くこなします。
民を安住させるのは恵であり、恵であれが民衆は慕ってくるでしょう。
よく哲であり、恵であれば、驩兜(凶悪な人物)を心配するまでもなく、
有苗(暴虐な人物)も遷すにもおよばず、
言葉巧みに取り入って来るものを恐れる必要もありません。」
「また行じるのに九つの徳がございます。
その徳を語り、何を行うかを語りましょう。」
「何でございましょうか。」
「寛にして慄(寛容でもしまりがある)、
柔にして立(柔和でも事をやっていける)、
愿にして恭(願いがあっても慎み深い)、
亂にして敬(乱れていても専一でいられる)、
擾にして毅(混乱していても決断力に富む)、
直にして温(正直でも温和)、
簡にして廉(大まかでもしまりがある)、
剛にして塞(つよくても思慮深い)、
彊にして義(剛勇でも義がある)。
この九徳をたえず行えば、明らかに吉でありましょう。
日に三徳を宣ベ行い、世を照らすものは家を有つ(大夫となる)でしょう。
日に六徳を謹み敬い世を輝かせれば、邦を有する(侯となる)でしょう。
九徳全て合わせ受け敷き施せば、千人の才徳を超える宰相がつき、
百の役所、もろもろの長、百工たちは、
よく五長(司徒・司馬・司寇・司空・大宗伯)に従い、
諸行は成就するでしょう。
諸侯よ、過ぎた欲に耽ってはなりません。
兢々業々と、日々の万端を謹まねばなりません。
庶官を空しいものにしてはなりません。
人は天の行を代行するもの。天が有典(大法)を秩序を立てるのは、
人間の五典(義・慈・友・恭・孝)によっている。
五つを篤く用いるのです。天が有礼(大礼)を秩序立てるのは、
人間の五礼によっている。五つを常に用いるのです。
ともにつつしみ、ともに恭しくし、和衷せねばなりません。
天は徳を有するよう命じます。五典に服し五つを磨くのです。
天は罪のあるものを討ちます。
五刑(墨・劓・刖・宮・大辟)あり五つを用いるのです。
政事に懋めに懋めねばなりません。
天の聡明さはわが民の聡明さと、
天の明畏はわが人民の明畏と、上下に通じているのです。
敬まねばなりませんぞ、土を持つものよ。
わたくしの申しましたことを、遂行しなさい。」
「その通りです。あなたの言葉はきっと立派な功績をたてるでしょう。」
「わたくしにはそのような考えはありません。帝を讃えたすけるのみです。」

これを読み朱子学のイメージが変わった人も、
四書五経を読めば更に認識が変わるでしょう。

太極拳の達人のように道理に合致した
政治運営を追及するのが儒教なら、
これにマイナスイメージを付与する事で、
室町幕府の政策を正当化できます。

もし南朝の政治思想がこの様なもので、
高度な運営をなし成果をあげた事が
学校の歴史授業で教えられていたら、
日本の政治・経済に対する影響は、
どの程度の物が想像されるでしょうか。

相応の影響が想像されうるのであれば、
室町時代以降から悪影響が継続し続け、
現代に生きる我々も多大な損失を
無自覚のまま受けている事になります。

南朝の実相が隠された事による悪害が
これだけに止まらないのであれば、
実相を開示する価値は大きそうです。

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