「頂きます」の意味

食事をする前に頂きますと言うのは
この国の素晴らしき伝統ですが、
この解釈には様々なものがあります。

仏教的な解釈で肉を食べる時に
命を頂くので頂きますと言うと
考えられているようですが、
天武天皇が肉食禁止令を出してから、
明治まで肉食は禁止とされています。

仏教的には動物を殺すと殺生の罪を
犯す事になると言うのであれば、
上手い汁を吸うために殺しておいて
形だけ感謝する欺瞞を奨励する事は、
更に罪を作る行為にもなりそうです。

天武天皇に関する歴史については
様々な問題がある事は書きましたが、
仏教的な解釈が適応させられないなら、
動物の命を頂くので頂きます以外の
別の解釈が存在しそうですね。

アイヌなどの先住民族の文化を探ると、
また違った解釈が出そうではありますが、
動物を殺傷して食べる行為について、
工業製品のような肉の生産を良しとしない
世界観が存在していた感じはします。

祝詞にも様々なものが存在しますが、
『食前感謝詞』は静座して一拝一拍手し
次のように唱えるようです。

たなつもの 百の木草も 天照す
日の大神の 恵み得てこそ

これは食べ物は太陽神の恵みなので
恵みを頂く感謝の意味での頂きますで、
儒教的な考えに近いものがあります。

儒教では祝詞ではなく詩をうたいますが、
農耕儀礼の詩では太陽の恵みのみでなく、
農業に関わる全ての存在とともに、
収穫祭で喜び会う事をしていますね。

金を出せば良いと思って食べるのと、
様々な恩恵を感じながら食べるのとでは、
有り難さも喜びも大きく変わるでしょう。

自然の恵みに当たり前はなく、
様々な神々の働きでなされていると
祭祀を行ってきた古代人の感性は、
迷信と呼ぶには惜しい優れたものが
存在している事が感じられます。

人としての根本が弱くなれば、
環境破壊による飢餓などの危険も
自ら招く事になるでしょう。

医療技術が発達しても食事の基本が弱く、
体に悪いものを食べても薬で何とかなると
甘い事を考え痛い目にあっても自業自得で、
人としての基幹を培う教育が弱い現代は、
基礎から見直す必要が高いでしょう。

太極拳などを行い健康に良い食事をすれば、
人生の質そのものを上げる事が出来ます。

天地の神々と協力して輝ける世を作るのが
儒教における根本的な政治思想であり、
政治をマツリゴトと言うのに関わります。

南朝は朱子学を官学として導入したので、
この思想の元に運営がなされたなら、
室町幕府以降に戦国の時代に入り、
江戸幕府が出来るまでの間の動乱は、
根幹が弱かった事にも起因しそうです。

江戸幕府から明治政府になった後、
この根幹はまた脆弱になってしまい、
食料自給率が低いのに贅沢をする
危険を省みない行為がなされています。

食には人の基本が関わるので、
もう一度頂きますから初め、
深い所まで思索を巡らせると、
新たな気付きがありそうですね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする