喫茶店で執筆作業をしている時に、
一休みで週刊誌をパラパラしていたら、
エロ漫画にダキニが登場していました。
陰で邪悪な性的儀礼を行う教団に
ダキニが登場していますが、
これは後醍醐天皇の行じたとされる
真言立川流より古い所に関わります。
後醍醐天皇がこう言ったものに
うつつを抜かしたから排除すべきと
いかにも分かりやすい構図すぎて
太平記も週刊誌の漫画を読む感じで
広まっていったのでしょうか。
近年の研究では邪悪な性的儀礼は、
立川流が他の教団を非難した記述が
立川流のものの様に扱われたとされ、
追々これも書くかも知れません。
邪悪な扱いをされるダキニ天ですが、
カーリーと結びつけられた存在だけに、
実際に危険な集団でダキニが用いられ、
人骨も発見されているようです。
カーリーに人の生け贄を捧げる
秘密結社も存在していたようで、
カーリーの侍女とされたダキニも
性と死の臭いが漂っています。
この女神の伝承はヒンドゥー教のものですが、
紀元前5世紀頃からバラモン教が変質して
ヒンドゥー教が成立していったとされます。
この宗教の成立過程を探ろうとすれば、
インドのアショーカ王を探る必要があり、
アショーカ王は徐福と関わりがあります。
アショーカ王の仏教は世界に広まったとされ、
その痕跡は日本にも見る事が出来ますが、
ヒンドゥー教の成立過程から王の仏教が
完全に省かれている状況にあります。
アショーカ王のマウリア王朝で
高貴な存在として扱われた神々は、
後に侵略を受け邪悪な存在として
神話に取り込まれる事になり、
これら邪神を崇拝する教団すらも
登場する事になったのでしょうか。
日本のダキニ信仰は単一でない流れが
混合する形で展開していった結果、
複雑な様相を見せてきた可能性があり、
空海は徐福の頃から存在したダキニ天を
復興させようとした可能性もありますね。
これが後に室町幕府によって抹消され、
南朝の真実の姿と共に闇に葬られたなら、
日本史のミッシングリンクを探る事で、
とてつもない領域にまで到達するでしょう。