南北朝時代中期に成立したとされる
『神道集』第六巻の中に記された
「吉野象王権現事」にこうあります。
吉野象王権現事
抑象王権現者、本地釈迦如来是也、
摩耶夫人ノ胎内ヘ入玉フ時ハ、
白象形ニテ託生玉ヒシ故ニ、象王ト云也、
権現ト顕シ時ハ、本地聖天也、
此天ノ事経ニ云、夫聖天者、真言教主大日如来、
摩訶毘盧遮那教令輪身大聖不動明王、
無明界ノ教主、荒神大菩薩是也、
一切障碍神冥合、毘那耶伽天トシテ、
一切衆生ヲ哀玉フ天等也、
余り原文ばかりだと退屈なので、
重要な部分を訳してみます。
象王権現の本地は釈迦如来である。
摩耶夫人の胎内に入った時、
白象の姿であったので象王と云う。
権現として顕れた時は、本地は聖天である。
聖天は真言教主の大日如来であり、
その教令輪身の大聖不動明王であり、
無明界の教主の荒神大菩薩である。
釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と称する。
自性輪身は十一面観音である。
教令輪身は愛染大明王である。
その垂迹は麁乱神(ソランジン)である。
大魔王となる時は常随魔である。
煩悩となる時は元品の無明である。
総じて九億三千四百九十の王子眷属がいる。
夫婦和合の姿で象頭人身の躰である。
荒神として顕れる時は一面三目で二足の姿である。
麁乱神と言う謎の神が登場していますが、
凄い仏のオンパレードと言ったところで、
象王権現がどれだけの存在とされていたか、
多少なりとも理解は出来るでしょう。
象の王が人の体の上に白い象の頭が乗った
聖天(歓喜天)を意味するのであれば、
聖天にも二系統存在している可能性があり、
後醍醐天皇が修した聖天の行と言うのも、
どちら側なのかを考える必要がありそうです。
愛染明王も十一面観音も南朝に関係し、
オンパレードの感がある記述ですが、
神道集の成立時期を考慮に入れると、
背景が色々と見えてきそうです。
『神道集』成立が南北朝時代なのであれば、
後醍醐天皇が悪く言われた事に対して、
何かを伝えるために記された可能性も
なきにしもあらずと言う感じはします。
三宝荒神は役小角が金剛山で祈っている最中、
艮(北東)の方角で赤雲が幢のようになびき、
宝冠をつけ六つの腕を持つ神人がいて、
三宝衛護の神で荒神と名乗ったとされ、
邪馬台国の鬼道に関わる神のようです。
吉野と南朝の関係が深いのは間違いなく、
後醍醐天皇の墓にも参拝に行きましたが、
神社の神主さんに話しをしたらニコニコ笑い、
後醍醐天皇も喜んでるよと言っていたので、
どれだけ愛されていたかが分かります。
一般人には危ない独裁者のイメージですが、
実際のところを知っている関係者から
伝承されてきた中では聖王なのでしょう。
ぶっちゃけ喜ばれている感じはせず、
とりあえず話は合わせてはおきましたが、
その時点では南朝を記事にするとは
考えてもいなかった状況なので、
数年前のアクションを書いているのも
不思議な気分ではありますね。
コメント
初めまして。いつも楽しく読ませて頂いています。
三宝荒神は宝塚にある清荒神のこと、ソラン神は、同じく宝塚の甲山にある鷲林寺にあるソラン荒神の事と関係は無いのでしょうか?廣田神社の前の神含め、六甲山の火山活動が残っていた時代の神かと想像しています。素人発想の為、南朝と関わりがあるかはわかりませんが。
いきなりで勝手を申しましたが、なにか関わりが考えられると面白いなとおもいました。
私も素人に毛の生えた程度なので詳しい事は分かりませんが、廣田神社は盲点でしたね、調べてみます。