熊野三所大神社

熊野那智大社に調査に行った帰りに、
電車の待ち時間がかなりあったので、
駅から見える神社に参拝しましたが、
参拝すると良いことがあるのか、
ここでも色々と発見をしました。

熊野那智大社末社の熊野三所大神社は
くまのさんしょおおみわしゃ、
または大神社(おおみわやしろ)と読み、
神と書いて「みわ」と読むそうですが、
奈良の三輪山に近しいものがあります。

大神と書いて「おおみわ」と読むのは
先住民族祭祀に関わりそうですが、
この名がつけられたのが近世としても、
熊野に先住民族祭祀に関わる痕跡は、
数多く見つける事が出来ます。

夫須美大神・家津美御子大神・速玉大神を
主祭神とする事が名の由来とされますが、
江戸時代中期の『熊野巡覧記』は別の神名を記し、
この周辺には断定しきれない領域があります。

ここの境内社に三狐神が祀られており、
稲荷と熊野信仰との関係の痕跡を
実地で見る事が出来ますね。

三輪や加茂の地名から銅鐸が出土し、
先住民族祭祀と関係ある事については
三遠式銅鐸の本に書きましたが、
ここらを掘り下げると稲荷の深層も
見えてくる部分がありそうです。

熊野の深層には大物主や稲荷など、
現代においては無関係と思われる神々も
密接に関係していた可能性は高く、
熊野と即位儀礼のダキニ天との関係も
想像以上に古いものかも知れません。

神社境内に神武天皇に纏わる石碑が
存在しているのを発見しましたが、
神武天皇には徐福が関わるので、
熊野で徐福の痕跡を探してみれば
他にも沢山見つかりそうですよ。

神武天皇の東征のルートの研究からは
アレクサンダー大王のそれと同じとされ、
ここにも二系統の秦氏の痕跡が見えます。

後醍醐天皇がかなりの深い領域まで
熊野の深層を復興していたとすれば、
南朝を徹底的に抹殺した理由には、
十分なものがあるのでしょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする