熊野の安倍晴明伝承と奥三河の花祭

熊野の調査に行った時はスケジュール的に
カツカツの状態で急いでまわりましたが、
息を飲む光景は実際にあるものですね。

熊野那智大社の滝は非常に素晴らしく、
自然の中に神を見る修験者の感性が
実地で感じられたのは得難い経験です。

那智の滝

那智には安倍晴明の伝説が残され、
二人の式神で魔物達を岩屋に狩り籠め、
千日にも渡る滝行を成し遂げた等の
いかにもな中に歴史的な話もあります。

花山上皇が那智に籠って修行した時、
上皇を守護するために移り住んだ
安倍晴明の屋敷があったとも言われ、
上皇も修験道の修行で神通力を得て、
晴明と同様に神仏に通じたのでしょう。

花山天皇は安倍晴明と共に奥三河に行き、
天皇が入った事から王入の地名が付き、
大入に変化したと伝えられています。

花山天皇を祀るために大入系の花祭が
行われる様になったと伝承されますが、
大入系の舞は武術的な風格があり、
上皇を警備した陰陽師らが残した
古の武術が継承されたのでしょうか。

実際にセイメイと呼ばれる舞の動きが
存在している事は本に書きましたが、
記事にするには若干難しい話もあり、
学術で固めるよりロマンを楽しむ方が
面白い話ではありますね。

花祭と花山天皇を結びつける鍵こそ
熊野修験の深層に息ずく鬼神の信仰で、
熊野の九鬼氏に伝わる鬼神の祭の残る
奥三河に移り住んだのであれば、
安倍晴明も鬼道に通じた事になります。

安倍晴明に謎が多いのは間違いなく、
北関東にも関係している事は
『平将門の深層』に書きましたが、
本当に深層すぎて書き出すと大変で、
ブログでは小出しですね。

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