補陀洛渡海と裸形上人

熊野那智大社に調査に行った帰り、
JRの本数が少なく時間が空いたので、
付近の神社に参拝に行ったら、
かなりヤバい物に出会いました。

熊野三所大神社の隣には
補陀洛(ふだらく)山寺があり、
平安時代から江戸時代にかけて
小船に密閉され補陀洛山を目指した
補陀洛渡海で知られるこの寺は、
かの裸形上人の開山とされています。

九世紀から十八世紀までの間に
補陀洛浄土を目指す修業が
各地で行われたと言います。

補陀洛山寺では二十数回の渡海があり、
30日分の水と食料を乗せ外から閉じられ
海に放たれたとされていますが、
後に僧侶の遺骸を乗せ極楽浄土に送る
葬儀の形態になっていった様です。

寺の裏の小山に彼らが祀られ、
参拝してきたらKindleを落とし、
運がないと思ったら届け出され、
何だったのか今一つ微妙でしたが、
お礼であったと思いたい所です。

補陀洛はサンスクリット語で
観音浄土を意味するポータラカを
語源としているとされますが、
裸形上人が浜辺から船出して、
観音浄土の補陀洛島に去った伝承が
原型とされている様ですね。

裸形上人は那智開山の後に各地を巡り
修験道を広めたとされているので、
三百年近く後に那智に戻ってきて
船出した伝承には疑問があります。

補陀洛渡海の始まった九世紀は、
上皇で初めて熊野参詣したとされる
宇多天皇の時期にも被ってきますが、
遣唐使廃止などの変革の時期であり、
時代背景を見ないといけませんね。

上皇の熊野参詣と補陀洛渡海に
何らかの関係はあるのでしょうか。

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