『今昔物語集』にも笠置寺にある
磨崖仏の弥勒菩薩像の伝承があり、
こちらの方が仏像を彫った過程を
明確にされていますね。
天智天皇の子である大友皇子は、
馬に乗り鹿狩りをしていると、
笠置山中の断崖絶壁で立ち往生し、
鹿は断崖を越えて逃げ去って、
乗馬は断崖の淵で見動きがとれず、
山の神に自分を助けてくれれば、
この岩に弥勒仏の像を刻むと誓願し、
一命をとりとめます。
大友皇子は、次に来る時の目印として
自分の笠をその場に置いて帰り、
笠置の地名の由来となります。
後に皇子が笠置寺を訪れ、
崖に弥勒の像を刻もうとしたが、
絶壁過ぎて難儀していると、
天人が現れ弥勒像を刻みます。
等身大の仏像であれば兎も角、
皇子が一人で巨大仏像を刻むために
山上まで上ったと言うのは無茶過ぎて、
一度見ているのに単身で彫りに行くのは
設定に無理が多すぎる感はあります。
山頂まで馬で上って鹿狩りをするのも、
この山に上った身から無いわと思いますが、
笠置寺には春日神社も鎮座しているので、
春日大社では鹿を神使としているのに、
何かとバッティングしてはいますね。

笠置寺に春日神社を祀ったのは、
春日信仰の篤い解脱上人によると
伝承されている様です。
春日に関しては奈良の春日大社以外に、
三遠の春日と関係している可能性が
見え隠れしているところがあり、
この周辺も掘り下げたいのですが、
三遠の春日を出すかは微妙です。
因みに笠置寺には稲荷社があり、
豊川稲荷からダキニ天を勧請したと
伝承されてはいるものの近年の話で、
後醍醐天皇と関係なさそうです。
歴史の捏造があれば分かりませんが、
関連していれば面白いんですけどね。