笠置寺は寺かと思いきや神社もあり、
春日神社と椿本護王宮が祀られています。
鎌倉時代に奈良・興福寺から入山した
貞慶解脱上人が春日大明神を勧請し、
六角堂近くに春日神社を建立した後、
鎌倉幕府に笠置寺を焼かれた時に
春日神社も焼失したそうで、
後に春日大社から旧社殿を移設したのが
現在見られる春日神社だそうです。
この春日神社の隣にあるのが、
笠置寺一山五十ヶ寺の総鎮守社の
椿本護王宮とされており、
社殿奥の岩倉が御神体だそうです。
908年に吉野金峯山より勧請され、
元弘戦で焼亡し桃山時代に再興したと
言われはいるようですね。
文書が残っているわけではなく、
社殿の様式からの年の推測だそうで、
ピンポイントで年を指定出来るのかは
素人の私からは定かではないですが、
908年周辺はある人物と重なってきます。
菅原道真は845 – 903年の人物とされ、
醍醐天皇と笠置に来た時期と重なるなら、
道真に関係する流れであったか、
本人による観請が隠された可能性も
十分にありえる事だと思います。
道真は謎が多く人なのに天神とされ、
志多羅神上洛事件にも関わっており、
何故か牛に纏わる伝承が多いのですが、
笠置の深層と関わっているとすれば、
まだまだ隠された領域が存在しますね。
地元に鎮座する栗栖天神の伝説では
菅原道真が醍醐天皇に従い笠置山に登り、
風光にあこがれ晩年の居としたいと
願ったとされているのですが、
ここで神社を建てたかは分かりません。
春日大社の末社に椿本神社があり、
御祭神の角振神(つのふりのかみ)は
鎌倉時代に成立した「春日権現験記」で
関白藤原忠実公の御殿に忍び込んだ
天狗法師(魔物)を追い払っています。
角を振るとなると鬼を連想しますが、
春日の古層については三遠が関わり、
後醍醐天皇もリンクしてくるので、
ここは別で掘り下げる必要がありますね。