奥山半僧坊の開祖・無文元選禅師が
1350年に唐から船で帰国する折、
台風に遭遇して危険な状況になると、
法衣を着て袈裟をまとった
鼻高の眼光鋭い一人の異人が現れ、
船頭を指揮して水夫を励まし、
博多の港に導いたとされています。
豊川稲荷のダキニ天祭祀の由縁は
寒巌義尹が中国からの帰途、
海上に現れたダキニ真天のお姿を
感得した事が最初とされます。
両者とも中国からの帰国の途上、
船の上で神と出会っていますね。
これと同様に謎多き摩多羅神も、
天台宗の円仁が唐から帰る途中に
船上の虚空に摩多羅神の声が聞こえ、
この神を祀ったとされますが、
ダキニ天と摩多羅神は北斗七星で
リンクしている神でもあります。
半僧坊は後醍醐天皇の皇子により
開山されたと言われていますが、
ここに登場する神は猿田彦であり、
先住民族祭祀に繋がっています。
となると豊川稲荷のダキニ天も
南朝の皇子と関係しており、
先住民族祭祀に連なる神が
外来系とされたのでしょうか。