朝鮮半島に現存する最古の歴史書とされる
『三国史記』(さんごくしき)には、
倭国について記された箇所が複数あります。
高麗十七代仁宗の命を受け金富軾が撰し、
三国時代(新羅・高句麗・百済)から
統一新羅末期までを対象としており、
1143年に執筆が開始されているので、
平安末期頃の成立になりますね。
これに目を通すと百済本紀は倭人寄りで、
新羅本記は倭人を悪く言っており、
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
193年 倭人が大飢饉により千余人の避難民が到来。
364年 倭兵が大挙して侵入するが全滅近くまで追い込む。
393年 倭軍を騎兵二百と歩兵一千で追撃し大敗させる。
と新羅本記は倭人を低く見ていますが、
卑弥呼の記述が存在しても簡素すぎ、
実態については何も分かりません。
日本書紀は親百済で反新羅なので
三国史記と共通してはいますが、
こちら側の記述だけで判断するのは
偏った見解になりかねません。
新羅は壬申の乱で戦ったとされる
天武天皇側との国交があり、
役小角と新羅で会う伝承もあり、
花郎は修験道と繋がっていますが、
白山信仰も新羅からの流入です。
それより問題なのが新羅からは
ギリシャ・ローマの痕跡が見つかり、
三国史記からはこれが見えない事で、
隠蔽工作があったと見て良さそうです。
津島神社は対馬と関係しますが、
対馬は新羅との関係が深く、
優れた文化が存在していた事を
推察するに十分な物がりますね。
私は秦帝国が朝鮮半島まで支配し、
そこから倭国とも連なっていたのが
後に隠蔽されたと考えていますが、
『東三河の徐福伝承』を読めば、
その根拠の一端が分かると思います。