謎の大宝天皇

『三河吉野朝の研究』の記述に
謎の大宝天皇が登場してきますが、
奈良県葛城市に大宝天皇社が存在し、
由緒などは不明とされています。

大宝天皇は天皇家の系譜に存在せず、
実在すら不明の存在ではあるのに、
この神社が存在するのは何故でしょう。

文武天皇の時代が大宝とされるので、
天武天皇の息子を呼んだのでしょうか。

東三河には大宝の痕跡が複数残っており、
一色町の諏訪神社の祭り組に大宝組があり、
大宝橋や大宝の地名が存在し、
大宝神社は味浜の八王子社へ合祀され、
現在は残されていないとされています。

西尾市の久麻久神社には宝徳の年号と
大宝天王と刻された鰐口が見えます。

三河南朝に関する文献に目を通すと、
西尾巿の久麻神社に祀られているのは
大宝天皇の身代りの尊義王(空因親王)で、
正統の大宝天皇は別に奉祀されたとします。

三河吉野朝の研究者の間でも、
大宝天皇が誰かは諸説ありますが、
南朝天皇としている事に関しては
共通した見解のようですね。

東三河に大宝天皇の痕跡が見えるのは、
やはり三河南朝の存在が関わっており、
重要な謎を解く鍵ともなっています。

この隠された天皇を追及する事で
大きな歴史の謎が開示されますが、
メルマガ読者と実地調査に行き、
その痕跡をまわってきました。

実地の問題を無視して出して良い情報か、
難しい問題があるのは毎度の事ですね。

公的な信頼度の高い運営母体として
税金で運営されている行政を頼れるかは、
人により考えが分かれる所でしょう。

前の豊橋市長は総務省出身なので、
利権に関しては金を出すものの、
地域文化には全く金を回さず、
地元では他であれば誰でも良いと、
前の選挙では騒がれていましたね。

運営を無視して急に図書館を作るなど、
かなり強引な事をしていたようですが、
その前の市長は汚職で逮捕されており、
駅前の工事で人の流れが途絶え、
商店街が壊滅的打撃を受けています。

現在の豊橋市役所がどこまで頼りになるか
何とも言えない状況ではありますが、
とりあえず頼りにせず動きを出した方が
堅実である事は間違いありません。

特殊な事を知っていると言うだけでは
優れた人間であると言う訳でもなく、
言葉に実行が伴っていなければ無価値で、
その人が何をなしているかが重要ですね。

大きな問題があるのが分かっていながら
押し付け楽をし美味い所を持っていくのは、
今後難しい時代になる雰囲気はあります。

自分では責任を背負わず人の動きをみて、
おいしいと思えば乗ってくるのに、
都合が悪くなると逃げるのは、
聖地関係者に相応しくないでしょう。

自分を棚上げして人に呼び掛けても無意味なので
率先して利益度外視で情報発信していますが、
日本人全員が当事者の問題でもあるので、
各々で自ら姿勢を見直し出来る事を実行する
基本的なところを確立して頂ければと思います。

この基盤の上ででないと出せない話が多く、
単なる暇潰しのコンテンツ消費で終わるなら、
執筆している努力は全て無駄になりますね。

本当に優れた歴史が存在していたなら、
先祖からどう見られているかや、
子孫からどう評価されるかについて、
自らの行動を一度は考えてみるのも
良いのではないでしょうか。

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