
浜松市を北上した平野と山脈の境目に、
大宝寺が鎮座しています。
応永年間(1394~1427年)の創建であり、
もとは袋井市の可睡斎(曹洞宗)の末寺で、
慶長年間(1596~1615年)に再興されたと
伝えられてはいるようです。
信憑性はさておき三浦芳聖氏の著書である
『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』では、
大宝天皇の出生地を遠江国京丸としますが、
現在で言えば静岡県浜松市天竜区春野町で、
大宝寺とはそれ程遠くない場所になります。
大宝寺が大宝天皇と関係しているなら、
創建の時期が南朝より遅いのは、
隠蔽のために改竄されたのでしょうか。
この寺の横道を上がるとダキニ天が祀られ、
後醍醐天皇との絡みが疑われますね。
南朝であれば曹洞宗ではなく密教寺院で、
大宝天皇も霊能者として神仏と交流する
国家祭祀に関わっていたのでしょうか。
南朝寺院だから何なのかと言われれば
正直なんとも言えませんが、
大宝天皇の痕跡は歴史から隠され、
南朝天皇の系譜にも載っていません。
隠されるには隠されるだけの
理由が存在しているのでしょうが、
どのような背景があったのでしょう。
南朝では後醍醐天皇や後村上天皇のように
後がついている天皇しか出されておらず、
二番煎じの印象が与えられています。
これが理由であるかと言えば、
大宝天皇は更に深い南朝の秘密を
隠蔽するのに関わっていると
考えているところではあります。