稲荷縁起

『稲荷社神主家大西(秦)氏系図』には

秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主、
久治良ノ末子和銅四年二月壬午、
稲荷明神鎮座ノ時禰宜トナル、
天平神護元年八月八日卒

と秦氏が賀茂神社や稲荷社と
関連する事が書き残されています。

建角身命(ヤタガラス)も登場しますが、
ヤタガラスにも二系統が存在しており、
徐福系は砂漠をさ迷うアレクサンダー大王を
導いた烏に通じる多神教のヤタガラスでね。

徐福と烏の関係は『東三河の徐福伝承』が
本来は徐福の墓について書いた本ですが、
諸般の事情で削除せざるを得なかったので、
既に資料としては纏めてあるのですが、
中々出すには厳しいものがあります。

岩戸開きの本にも書いたのですが、
烏が一神教のみに限定されない事は、
少し調べれば分る事ですね。

豊川稲荷の核心を追及すると、
この導き烏の存在が関わってきます。

大王はエジプトでファラオとなり、
太陽神と一体化した存在としての
神聖な王となる儀式をしています。

南朝の復興した徐福王朝は
徐福の持ち込んだヘレニズムを
基盤とした神聖王朝であり、
ここで信仰された神仏の姿は、
日本書紀の歴史観を根底から覆す
蛇蠍扱いされたのでしょうか。

ブログではインパクトが強すぎて
徐福の正体には言及していませんが、
ヒントはかなり出してはいるものの、
メルマガ読書と直接会って教えると、
驚かれる事が多いですね。

一気に出しすぎるとイロモノになり、
地域振興に使えなくなりかねないので
外堀から固めていっていますが、
南朝が徐福王朝の復興であったなら、
ダイレクトに関わる事になります。

邪馬台国の鬼道の痕跡ですら
十分に活用していない状況では、
情報を出しすぎても無駄になり、
インパクトも薄れかねません。

実地の動きを見て出したい所ですが、
すぐ知りたい方は本を読んで下さい。

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