豊川稲荷から坂を下った辺りに
三明寺と呼ばれる寺院があります。
寺伝によれば大宝二年(702)
文武天皇が三河国に行幸の折に
この地で病にかかったが、
弁財天の霊験で全快したので、
僧侶に命じて堂宇を建立したのが
始まりとされている様です。
以後、真言宗寺院として継続し、
平安時代後期に源範頼の兵火で焼失、
応永年間(1394-1428)に禅僧である
無文元遷(後醍醐天皇の皇子)が
諸堂を復興したと伝えられています。
文武天皇は東三河のあちこちで
病気となり助けてもらう伝承があり、
仙人に助けてもらう三つの伝承は、
役小角と関係しています。
文武天皇と言えば壬申の乱で戦った
天武天皇の皇子とされているので、
先住民族王権の聖地であったと
言っている様なものですね。
南朝の皇子が再興している事から、
南朝との関係が非常に深かった事を
暗に伝えている匂いがしていますが、
境内の三徳稲荷は西島稲荷の分祀で、
豊川稲荷との関係が見えて来ます。
この寺と進雄神社の存在は
豊川稲荷の謎を解く鍵であり、
南朝や徐福王朝を開示するには、
豊川稲荷の真実の姿の解明が
避けて通れない課題となります。