メルマガ読書と行基の出生地に
行って来た事がありますが、
実地調査は色々と発見があります。
地元の人に聞いた場所に行ってみると、
行基伝承の書かれた院がありましたが、
中を覗くと仏教ではなく神式の
儀式である事が見れるのですが、
関心があれば直接確認して下さい。
四方浄の行基伝承は特異ではありますが、
それだけで肯定も否定もしないものの、
若干の疑問が出てくる所があります。
行基が668年に遠州山奥の仲田の里に
聖徳太子の生まれ変わりとして出生し、
母から百済国王の末裔と聞いた話は、
今まで検討してきた事から考えると、
捏造された伝承の可能性が高いですね。
私の研究では聖徳太子は実在しておらず、
隨書倭国伝に登場する「日出処天子」は
アメタリシヒコと言う男王であり、
女帝の摂政とされる聖徳太子は
キリストをモチーフにした創作です。
これは百済系の大乗仏教勢力により
なされた出来事と見られるので、
行基が先住民族サイドであれば、
百済側の人物ではありえません。
行基は子供の頃に出家して修行し、
また四方浄に戻ってきたとされますが、
捏造された伝承に書かれた内容なら、
敢えて言及している背景には、
何かしらの意図がありそうです。
末法の世を救う弥勒菩薩は百済系で
新羅系の弥勒菩薩とは系統が違い、
ゾロアスター教系のミトラか、
多神教のミトラかの違いがあります。
四方清の行基伝承が捏造であれば、
誰が何のために捏造したのでしょうか。
本来の行基の姿を隠す事に、
どれだけの意味が存在していたか、
追及していく事にしましょう。