橘諸兄との繋がり

天平十年(738)に行基は朝廷から
行基大徳の称号与えられていますが、
この年には橘諸兄が右大臣となり、
古墳のある久米田池を作っています。

橘諸兄と行基との関係については、
余り深く語られる事はありませんが、
諸兄も行基に負けず劣らずの存在で、
やはり先住民族サイドの人間です。

橘諸兄の母である橘三千世は、
県犬養宿禰(あがたいのすくね)
三千世と言う名前であったのが、
元明天皇から橘姓を与えられたと
伝承されている女性ですね。

三千世は天武・持統・文武・元明の
四天皇に渡り仕えた人物とされ、
諸兄と二人の子を生んだ後に
藤原不比等と結婚したとされ、
どこまで史実か分からない人です。

元明天皇の次に聖武天皇が就き、
行基が弾圧された後に認められ
諸兄と関わりを持ったのなら、
行基が政治的な領域に関与した
可能性がありますね。

天武天皇は壬申の乱の関係者で、
日本を二分する戦争の後から
権力と深く関係した女性が
橘三千世なのでしょう。

古事記・日本書紀を編纂し、
大規模な歴史の改竄がなされた
重要な時代であったのならば、
先住民族の影響が色濃い時期の
様々な隠蔽と行基の深層には
密接な繋がりがありそうです。

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