東大寺初代別頭と藤原氏

東大寺の大仏が盧舎那仏像なのは、
華厳経に由来しているとされすが、
この経典を日本で初めて講説したのが、
東大寺初代別当の良弁であったそうです。

東大寺の前身である金鐘山寺において、
良弁が日本で初めて『華厳経』の講説を
実施したと伝えられています。

この良弁の父の時忠は藤原鎌足の玄孫で、
幼少期に鷲にさらわれた伝承があるので
藤原氏との繋がりが無い様に見えますが、
どうみても事実とは思えない伝承であり、
東大寺と藤原氏の密接な繋がりを
隠蔽する目的があったのでしょうか。

時忠は710年に鎌倉に甘縄神明神社を
建立したと伝えられていますが、
由比の長者と呼ばれた染屋時忠が
神明宮と神輿山円徳寺を建立したのが
始まりとされる鎌倉最古の寺社に、
行基と良弁の父が関わっています。

ちなみにこの神社は鎌倉大仏の
鎮守だったとされていますが、
奈良の大仏との関係は不明です。

行基と東大寺に纏わる歴史は、
どこまで信憑性があるかが
不明な情報が多いですが、
多くの矛盾を抱えているなら、
抜本的見直しが必要なのでしょう。

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