久米田古墳群

久米田寺周辺には古墳群が存在し、
かなり大きなものも見受けられます。

光明皇后の古墳もありますが、
ここから道を挟んだ大きな古墳が
橘諸兄の古墳とされています。

壬申の乱で古墳時代が終わったとされ、
なぜその後にも古墳が造営されたかは、
ブログ読者には言うまでも無い話で、
行基と共に行動した土師氏による
造営と言う事になるのでしょう。

諸兄公の古墳裏の公園に行くと、
別の巨大古墳を見る事ができますが、
墓と言うよりあたかも神殿のような
独特な形状をしていますね。

古墳がいつ造営されたかの年代測定は、
今一つ根拠が不明瞭なものが多いですが、
これも行基勢力が構築したのでしょうか。

久米田寺は行基が池を掘る時に
作業をする人達のために作った施設が
元になっていると言われています。

久米田寺が古墳群と関係があるなら
後に寺院として成長したのではなく、
初めから聖地としてデザインされた
重要なエリアであった可能性があり、
隠された歴史があるのでしょう。

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