菅原寺創建の異説

『行基年譜』(1175年)によれば、
菅原寺は養老五年(721)に、
寺史乙丸が自らの住居を行基に寄進し、
翌年に行基が寺とした物とします。

しかしこれ以外にも記述があり、
『菅原寺記文遺戒状』によれば、
菅原寺の創建は霊亀元年(715)で、
元明天皇の勅願によるものとします。

後者は行基と関係ない事になり、
菅原寺に纏わる行基伝承についても、
信憑性が疑われかねない記述です。

菅原寺には様々な謎がありますが、
「試みの大仏殿」と呼ばれるのに、
東大寺と仏像が違う事などは、
後者の説では解釈が容易いですね。

菅原寺が寺史乙丸の住居では
無かった可能性を示唆する
先行研究が存在していますが、
更に行基の謎が浮上します。

個人の住居としては不相応な
様々な要素が散見される菅原寺は、
本当に行基の活動拠点だったのか、
それとも菅原の里の土師氏の活動を
隠蔽する目的で歴史の捏造が
行われたのでしょうか。

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