長岡院から発見された円形建物跡は、
専門家等の見解は時期や立地から
行基を供養する施設として、
見解の一致を見たしたそうです。
長岡院は平城京のすぐ西側にあり、
京域をはさみ東の東大寺と相対する
重要な位置に存在しています。
仏教考古学者の狭川真一
大阪大谷大学教授は
東大寺を意識した位置に、
行基を供養する施設を
建立したのだろうとします。
これが行基の供養目的の施設かを
断定出来るかは保留するとして、
東大寺上院と長岡院が平城京遷都前に
行基集団により建立されたものなら、
なぜ歴史から抹消されたのでしょうか。
東大寺と対になる寺院に鬼道の痕跡が
見受けられるとするのであれば、
東大寺にも鬼道の痕跡が存在した
可能性を提示出来るのでしょうか。
提示可能なら私の仮説の度合いを
補強する根拠となりえますが、
研究を進めると実際に出てきます。
これは笠置寺と東大寺の関係を
掘り下げる事から分かりますが、
鬼道と言えば花祭であり、
東大寺上院でも花祭が行われた
可能性を提示していきましょう。