行基が大阪に造ったとされる土塔と、
東大寺から南下した所のある頭塔は、
別の系統の建築物とされています。
頭塔は古文書によると767年に
修二会(お水取り)をはじめた
東大寺の僧実忠が築いたとの記録があり、
頭塔に該当すると考えられています。
実忠やお水取りには謎があり、
この周辺を紐解いていく事で、
行基が建立した可能性を
提示する事が出来ますね。
両者共にピラミッド構図ですが、
系統の違うものとして扱われる事で、
解釈の幅を狭くする事になります。
両方行基が建立したものであれば、
両者の違いは基本を一にした
バリエーションの差程度の物で、
今まで謎とされた頭塔の由来に
新解釈を与える可能性があります。
頭塔がどこから持ち込まれた
知識をベースにしているかは
様々な説が存在していますが、
どれが正しいかの決定的な根拠は
未だ不明瞭とされいるようです。
私の説で様々な謎に一本線が通るなら、
十分検討に価するのではいでしょうか。