浜松と鬼の祭

浜松に秦から徐福が音楽理論を持ち込んだとして、
三遠式銅鐸以外にその根拠はあるのでしょうか。

遠州には「ひよんどり」と呼ばれる鬼の登場する祭があります。
奥三河の花祭が豊橋と関係があると言う説は書いて来ましたが、
この祭の発祥は古墳時代より後のもののようです。

江戸までは鳳来寺にも鬼の登場する祭があったそうですが、
奥三河から鳳来寺周辺で南下すると浜松方面に出るので、
この鬼の祭も邪馬台国の卑弥呼が用いた鬼道に
通じているのかも知れません。

奥三河には豊橋から鉄道が出ていますが、
本来は浜松から鉄道を通す予定だったようで、
奥三河と浜松との関係は現在より深かったようです。

花祭では太鼓や笛、うたぐら等の音楽にあわせ
道具と鈴を持って複雑な舞が演じられますが、
これも古代中国の音楽理論と関係しているのでしょうか。

古代中国では鬼神を祀っていた事が「礼記」に記され、
古代アジアの鬼神祭祀はその他の文献にも残され、
中国のみの祭祀ではなかった可能性は高いですが、
アジア全般に通じるものはあったのでしょう。

現在、鬼神祭祀が北九州と三遠にのみ継承されているのであれば、
国内のみでなく広くアジアに誇る文化遺産となります。
アジアのアイデンティティーとして最古のものが
世界最先端の楽器や企業に通じているとすれば、
歴史は死んだ過去のものではなくなります。

漠然と企業経営をするより歴史を踏まえて展開すれば、
更なる飛躍が見込まれる可能性が高いのですが、
現状この研究をしている人は見受けられないので、
三遠をさらに飛躍させるために研究を纏めようと考えています。

現状では準備が整っていないのでまだ出せない情報が多く、
一部の人達をターゲットにした内容になるかも知れませんが、
この地域から誇りを持って新しい時代を切り開いていく企業が
数多く出る事が私が研究を進めている意義でもあるので、
志のある方々と物事が進められたらと思っています。

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