行基堂の本尊

四方浄に鎮座する行基堂の本尊は
勝軍地蔵尊とされており、
村の古老達の言うところでは、
奥の院は勝軍地蔵尊を祀るそうです。

勝軍地蔵については以前書きましたね。
豊橋の赤岩寺奥のイワクラで祀られる
氏神とされた存在ではありますが、
京都の愛宕山とも関係しています。

愛石山を開山した泰澄は
役小角と繋がりがあり、
先住民族祭祀に関わるのが
勝軍地蔵尊となりそうです。

地蔵菩薩も掘り下げると謎が多く、
現代では慈悲深い菩薩としか
認知されてはいませんが、
閻魔大王の化身とされており、
軍神としても祀られていた事は、
殆ど知られなくなっています。

更に問題なのが役小角の伝承で、
この国を守護する仏を求めると、
地蔵菩薩や弁財天など様々な仏が
小角の前に現れて来るのですが、
優し過ぎると却下された後に
厳つい蔵王権現が登場します。

弁財天も武器を持った軍神として
祀られる事のある仏であり、
舐めてかかっても無事でいられる
慈悲深い仏としてのみの認知は、
なされていなかった事になります。

となるとこの伝承の裏に何からあり、
邪馬台国の雑密における真の姿が
隠された可能性がありますね。

役小角は花祭の神でもあるので、
行基のひよんどりも修験に通じ、
時系列的に見れば後継者的な
時間差しかない周辺の人物です。

行基は伊勢にも関わる僧侶であり、
雑密の修験道における古代の神仏に
精通していた存在なのであれば、
白山信仰にも通じていたのでしょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする