日本とギリシャの農耕祭

クロノス神に捧げるクロニア祭は、
アテナイ等の複数の地で行われ、
奴隷と主人が対等に宴会を楽しんだり、
主人と奴隷の立場が逆になるなどの、
無礼講的な祭であったようです。

農耕神クロノスのクロニア祭は
収穫祭の時期に行われたので、
古代の農耕に関する考え方が、
ここから見て取れそうですね。

江戸時代の無礼講のように、
身分の差を取って交流する
社会的な機構を設けた背景に、
相手の立場でされて嫌な事は
相手に行わないとする儒教思想が
行き渡っていないと無理ですね。

相手を見下し支配する思想は、
大英帝国により支配的となって、
現代にまで繋がっていますが、
クロノスの統治が黄金時代とする
ギリシャの考えからすると、
強制労働ではなかったのでしょう。

現代ではホワイトカラーに憧れ、
大変な農作業を人に押し付け、
金で何とかしようとする考えが
主流になっている感を受けますが、
クロニア祭に高慢さは感じません。

クロノスはローマに入った後に
サトゥルヌスと呼ばれる様になり、
サトゥルナリア祭が12月17日から
1週間続いたとされています。

贈り物の交換、奴隷の自由、
盛大な飲み食い、様々な遊びで、
盛大に賑わったそうですが、
普通に楽しそうで良いですね。

サトゥルナリア祭をクリスマスの
起源とする説も存在していますが、
時期的には太陽神の死と復活の
霜月神楽にも通じていそうです。

現代では審判の日のクリスマスも、
本来は恋愛と全く関係ないなら、
ボッチの言い訳が一つ増えますね。

朝鮮半島の中で新羅からのみ
ギリシャ・ローマの出土品が
発見されているそうですが、
ヘレニズムが徐福によって
国にもたらされたのであれば、
クロニア祭も入っていそうです。

農業と言うと苦役のイメージで、
支配された側が強制されて
年貢を貢ぎ続けるかの様な
良からぬ連想をしかねませんが、
歴史を研究すると必ずしも
そうとは言い切れませんね。

今まで染みいた農業のイメージは、
本来の農耕とは全く違った物に
変質している可能性があります。

良からぬ見識で農業をしても、
喜びは少ないのでしょう。

農業に対する根本的な概念を
もう一度洗い直してみる事は、
これからの時代に特に重要な
ファクターとなり得るでしょう。

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