伊勢の神宮でも雅楽が行われ、
詩経における雅への理解を
深める事が出来そうです。
本来は神宮は二代宗廟と呼ばれ、
宗廟は祖神でなく祖先を祀るので、
もう片方の宇佐八幡宮の方が
本来は宗廟に相応しいですね。
応神天皇の時代に由来する雅楽も
残されているとは言いますが、
応神天皇の時代については
『三遠式銅鐸と古代出雲』に
色々と書いておいたので、
興味があれば読んで下さい。
Youtube等で雅楽の動画を見て
歴史を妄想するのも良いですが、
周代の青銅器に雅と共通の成語が
彫られていた事を考えると、
考えさせる物があります。
動画は仮面より布っぽいですが、
花祭は鬼の仮面を被り、
より元義に近い感じを受けます。
内宮では仮面を被らない雅楽が
存在している事を考えると、
歴史的には多少後の段階の
雅楽にはなりそうですね。
仮面を被って音楽に合わせ、
舞う姿がいつ頃からあったかは、
中々に難しい問題ではありますが、
周代には存在していたとすれば、
歴史はかなり深いのでしょう。
継体天皇の周辺に五経博士を
日本に呼んだとされますが、
五経の中には詩経があり、
詩経にある様々な祭祀が行われ、
文学的解釈ではない呪術的儀礼の
詩が用いられた可能性があります。
当然、農耕祭祀にも詩が用いられ、
呪術的な意味合いが含まれた舞が
行われていたのであれば、
農業の見直しに関わります。
ただ徐福の時代の方が原型に近い
古代祭祀が色濃く影響したなら、
段階により別物として研究する
必要性はありそうですね。
復古神道では中国の影響を廃した
日本固有の神道を提唱しますが、
歴史的にどの段階を言っているか
不明瞭な部分が余りにも多く、
多少の見直しが必要ではないかと
考えている所ではあります。