動物供儀の廃止

『詩経』に記された祭祀には、
古代中国における陰陽の概念を
祭祀に用いていた痕跡が見えます。

鬱金草という香草を混ぜて作った
鬱鬯を地面に濯ぐ事により、
陰気に神を求める事から祭礼を初め、
天に香を上らせる事で陽気を起こし、
神に陰陽を求めて迎えるとされます。

ただこの儀礼は香を作る時に、
犠牲の牡牛を迎えて耳を先に供え、
刀を手に執って切り裂き、
血をとって殺した事とを告げ、
腸からとった脂を塗った蕭を
黍稷と合わせて焼いて香とする、
結構血生臭い儀礼になっています。

徐福は詩経も持ち込んでいますが、
アショーカ王の仏教と関係するなら、
王は動物の供犠を廃止したので、
陰陽をもって神を迎える儀礼も
植物性で代用されていた可能性が
高いのではと思われますね。

儀礼にも系統が存在するなら、
そのまま流用して良いかは
検討が必要になりそうですが、
犠牲が牛編なのは牛殺しと
密接に関わっているのでしょう。

神と一口にいっても信仰体系で
全く違った定義になりますが、
ギリシャ神話などを見ると、
数多くの神の全てが高潔とは
言い難いところですね。

嫉妬で意地悪をしてきたり、
子供達を食べてしまったりと、
中途半端に関わって良いかすら
難しそうな伝承となっています。

ギリシャ神話の成立背景も
様々な研究がなされていますが、
一系統ではない混合型であって、
解釈は非常に難解です。

農耕祭祀をやってみたいのですが、
流石にこれは真似出来ないので、
甘酒を作るやり方で収穫祭を
楽しんでみようと思っています。

神が酒好きなのは世界共通なので、
とりあえず酒さえ出しておけば、
何とかなるのではないかと。

『平将門の深層』を書いたので、
十九首塚に行って酒を奉納したら、
自分は一滴も飲んでいないのに
酔った感じがしてきましたが、
飲酒運転になるのでしょうか。

日本酒の歴史は不明な所が
あるにはあるのですが、
世界的にはビールだったり、
類似品で祭をしています。

今年は自作した甘酒を、
近所の神社に奉納ですね。

神社に供物を持って行っても、
そのまま腐らせるとダメなので
捨てられる事がありますが、
甘酒は飲酒運転にならないので、
一緒に飲んで帰って来ます

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