第二次世界大戦以降の各国政府は
農業を近代化する事によって
飢餓や貧困が無くなるとし、
緑の革命が推進されてきました。
品種改良、化学薬品の使用、
機械や灌漑などの新技術により、
生産性を飛躍的に高めようと
躍起になってきた歪みが出て、
新たな問題を生んでいます。
原因を考えずに薬品で症状を抑える
対処療法的な思想がベースなので、
農業でも似たような問題が起こり、
除草剤や殺虫剤の効かない
草や虫が登場する事になります。
飢餓や貧困の原因は構造的な物が
かなりのウエイトを占めており、
根本から見直さずに症状を殺す
対象療法的な行為が主流です。
流れを読んだりバランスを整える
漢方的な思想は除外されており、
多領域でバランスが崩れていますね。
機械化で少人数の農業が成り立たち、
農村から都市への移住が多くなると、
地方で作物を作り長距離輸送をし、
都会で大量消費をする事になります。
人が減った田舎は過疎化していき、
後継者がいなくなって行く事で、
農業が衰退していきます。
東京などは物流が途絶えると
大勢が飢える墓場となりますが、
視野を広げて大枠の流れを見ると
見えて来る物はありますね。
ピラミッドの上層部のみが栄え、
他から搾取する支配体制による
アンバランスさは多岐に跨がり、
飢餓や貧困などの構造的な問題は、
農業の近代化では解決出来ません。
近代日本での農業の見直しは、
江戸時代か明治維新以降、
または緑の革命後の流れ等の
複数のフェーズでの議論が
一般的ではありますが、
江戸以前は漠然としています。
近代農業は全人類的な問題で、
遥か深い所まで認識を明らかに
していく必要があるのでしょう。
東西融合のヘレニズムを崩壊させた
略奪文明の上に近代あるのなら、
これが崩壊を迎えていえる昨今、
この後に来る物を見越した対策は、
別の枠組みも必要となってきます。
古代ヘレニズムの最高峰が
三遠の徐福王朝であったなら、
新たな時代の雛型の提唱すらも、
ここから打ち出す潜在力を
秘めてはいそうではあります。
これをどれだけ生かすのかは、
現代に生きる私達の課題として、
厳しい評価がなされそうです。