太宰府で死亡した菅原道真は、
怨霊となって藤原氏を祟る前に、
後に比叡山延暦寺の座主となる
法性房尊意が修行する房室に、
霊となって出向いたとされます。
二人は天台密教の師弟関係にあり、
呪術に関する依頼を持ちかけます。
道真は梵天・帝釈天の許しを得て
都の人々に恨みを果たすので、
天皇から阻止の要請があっても、
修験を行使しないよう頼みます。
天皇から最上の礼を尽くされれば
断る事ができないだろうと言うと、
柘榴の実を口に入れ妻戸に吐きかけ、
炎を立ち上らせたとされます。
この時に焦げた妻戸は今も残ると、
『縁起』に記されているようですが、
作り話っぽい感じが強いですね。
道真公が密教僧であった事は
余り有名ではないですが、
彼の曾祖父が遣唐使として
最澄と共に渡唐しています。
行基と共に活動した土師氏が
菅原家の源流であるのなら、
それ以前から密教に関わる
家系であったのは確かでしょう。
道真公はインテリのイメージですが、
密教修行をなした霊能者であれば、
祭祀を行い神仏と対話した側面が
歴史から抹消された背景には、
何かが存在してそうな気配がします。
道真公は笠置にも伝承が残され、
これが後醍醐天皇に繋がる事は
やはりマイナーなままですが、
先住民族祭祀とも深く関係した
人物であった可能性は高いでしょう。
ここが人なのに神として祀られた
道真公の謎に深く関わりそうです。