源氏三部作

源氏の本を書いていたのですが、
軽く五十万字を越える分量に
なってしまいそうな勢いで、
三部作にするか思案中です。

行基の本を書いて後悔したのは、
その次の道鏡の本を書く時に
行基に遡る必要が出て来るので、
重複が大きくなる所ですね。

行基周辺は安史の乱の解釈で
大きく時代認識が変わるので、
ここを懇切丁寧に説明し直すと
結構な分量になってしまい、
行基・道鏡・菅原道真の
三部作構想がベターでした。

どうしても歴史は流れの上で
様々な出来事が起こるので、
遥か前にボタンを掛け違えると、
後々の解釈も間違えていきます。

これが現代にまで続いており、
歴史の解釈が現代の解釈に
直結しているのであれば、
認識の是正は根元にまで
遡る必要が出て来ます。

源氏は頼朝までの流れで
大きく三分割が可能であり、
清和源氏が生まれた段階は
道真公周辺の問題に関わる
大きな要素を含んでいます。

ここを除外して話をすると
解釈が出来ない問題があり、
本質から外れていきます。

次の段階が源氏三代で、
前九年・後三年の役や
保元・平治の乱周辺の
動乱期の話になります。

最後がお馴染みの頼朝で、
鎌倉幕府樹立前後の
見直しになりますね。

それぞれで一冊分の情報が
含まれている事だけでなく、
一連の流れにおける解釈が
絶対的に必要となるので、
三部作でないと流れが切れて
説明のやり直しになります。

読む側としても高額を払い、
内容に満足出来ないリスクが
存在している事を踏まえると、
一部を読んで次に進むかを
考えられるのがメリットです。

ただ道真公についての本を
書かないと不明瞭な部分も
出て来る事になるので、
源氏以前の段階としての
天神の本まで執筆すると、
命を削るレベルですね。

六孫王神社に参拝した時に、
源経基について書く必要を
感じた事がありますが、
清和源氏は清和天皇から
分かれた氏族とされるので、
道真公周辺に関わります。

道真公から平治の乱までの
地続きな問題があるので、
これを書けるのは現状で
私だけだと考えるのは、
自惚れではないでしょう。

金をもらって依頼され
執筆する訳ではないので、
一人よがりの使命感で
執筆する事になります。

本の収益は大きくなく、
どこまで背負えるかの
問題になって来るので、
遺作を書くレベルの
覚悟がいりますね。

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