伊勢と吉祥天女

行基の本に奈良時代の政変について
色々と記述してきたのですが、
道鏡と関係した称徳天皇の謎は、
『行基菩薩とヘレニズムの復興』に
譲らないと情報量が多すぎます。

詳細な説明は省略しますが、
この天皇の頃に大きな政変が
起こっていたようですね。

称徳天皇が神護景雲に
改元した時の詔の話に、
伊勢内宮・外宮の上空に
七色の瑞雲が突如現れた
伝承が残されている様です。

この現象は諸大寺に於いて
『金光明最勝王経』の講読と
吉祥悔過を勤めた事によって、
「三宝・諸天・天地の神々」が
喜び瑞雲を現したものとされ、
この瑞雲の示現で神護景雲に
改元したと伝えています。

本来は神に祈るはずの事柄を
吉祥天に祈った事が喜ばれ、
吉祥悔過が神仏習合に貢献した
要因となった出来事とされます。

外宮は伊勢神道に仏教が関わり
吉祥悔過も問題無さそうですが、
内宮は仏教用語を忌み嫌っており、
若干の疑問が出てきますね。

ただ行基の本を読めば分かりますが、
奈良の大仏と伊勢内宮との関係は
非常に深かったとされています。

称徳天皇で天武系の天皇が終わり、
後に天智系のみとなった事が
歴史で伝えられていますが、
称徳天皇は淫乱で政治音痴、
外交問題も起こしたとされます。

かの道鏡事件とR18の関係になり
政治を狂わせた人物とされますが、
ここまで酷く言われる裏には、
何らかの権謀術数がありそうです。

唐をどん底に叩き落とした
安史の乱に日本国も加担し、
敗戦した事を本に書きましたが、
ここで先住民族が復興する事で、
吉祥天も復権された可能性を
指摘する事が出来そうです。

称徳天皇は天武系天皇とされ、
先住民族の王であったのなら、
酷く言われるのも理解できます。

称徳天皇で天武天皇の系統は
途絶えた事になっていますが、
長期に渡る蝦夷征伐が行われ、
平安京に遷都した周辺の話です。

この天皇が復権した節目に
吉祥天女に祈ったのであれば、
この女神が先住民族の国家で
どれだけ重視されていた神か
理解する事は容易いでしょう。

吉祥天は東三河の頼朝伝承にも
登場する密教の女尊であり、
古代にどれだけ重視されたか
十分に伺う事が出来ますね。

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