天武天皇が680年に創建を発願した
法相宗(ほっそうしゅう)の大本山、
薬師寺金堂で吉祥悔過が行われます。
吉祥悔過は奈良の後期になって、
称徳天皇(718〜770)が始めたと
伝承されている修法なのですが、
遣唐使により天台・真言密教が
持ち込まれる前の話ですね。
吉祥悔過は金光明最勝王経にあり、
この経典が長安三年(703)に
唐の義浄が漢訳したものを、
養老二年(718)に持ち帰り、
日本で広まったとされます。
ただここに大きな問題が一つあり、
『日本書紀』は天武天皇が677年に
金光王経と仁王経を説かしたと
記されている事と矛盾しています。
天武天皇は壬申の乱で戦ったとされ、
天河弁財天の吉祥天伝承にも関わり、
薬師如来は徐福が持ち込んだ信仰なら、
薬師寺の吉祥天信仰は672年に起きた
壬申の乱の前の段階からの可能性も、
十分にあり得る話になってきますね。
天武天皇の金光王経は旧訳であり、
金光明最勝王経は新訳であるのか、
別の勢力により書き換えられたのか、
様々な角度からの研究が必要でしょう。