人なのに天神として信仰される
謎の多い菅原道真ではありますが、
伊勢神道にまで通じる領域が
存在している痕跡が存在します。
『北野実伝記』を記した吉田天山は
『天神記』を集大成しており、
中世に伊勢神道しか関与しなかった
『天神記』を読物にして流布します。
吉田天山は江戸時代中期~後期の講釈師で、
大坂の講釈界で活躍した後に各地を巡り、
軍書講釈は天山・神道講釈は兵部の名で
演じたと伝えられているようです。
天山は吉田一保(いっぽう)の門人格で、
一保は大阪の寺子屋で軍書のみでなく、
吉田神道の神道講釈も講じたとされ、
道真公について記した『天神記』が、
伊勢神道から吉田神道を経た事で、
一般に流布された事になりますね。
吉田神道をゼロから説明し出すと
かなり長くなってしまいますが、
今まで書いてきた下地があるので、
やっと色々書ける部分があります。
かの吉田兼好は天台の密教僧でもあり、
吉田神道と天台宗に関係があったなら、
最澄に繋がる菅原家の天台信仰も、
情報として伝わっていた可能性は
かなり高いのではと思われますね。
全国各地に天神の社は多くありますが、
この流布に伊勢神道が関与した可能性は、
『天神記』の流れを見ると棄てきれず、
先住民族の鬼道に連なる伊勢神道が
道真公の社を全国に広めた理由は
一体何があったのでしょうか。
志多羅神上洛事件では天神の神輿が
八面神などと共に担がれつつ、
石清水八幡宮に集団参詣されており、
ここから鎌倉幕府が伊勢神道を
隆盛させる流れになった深層に、
『天神記』の関与が見え隠れします。