北野天満宮が建立される
契機となったとされる事件は、
志多羅神上洛事件とされます。
石清水八幡宮に大勢の民が
神輿を担いで上洛しましたが、
天神の神輿も担がれていました。
後に源頼朝が伊勢の神宮の
スポンサーとなった事により、
内宮より格下に扱われていた
外宮の神官が伊勢神道を提唱し、
外宮が内宮と同格となります。
と言う事はこの時点では
伊勢神道は成立しておらず、
外宮の神の信仰が体系的に
行われていなかったのでしょう。
道真公には度会春彦氏が関わり、
外宮の神主の度会氏が天神の
成立に深く関わったのであれば、
宇多天皇と共に復興させた鬼道が
天神信仰であったのでしょうか。
となると天神信仰はプレ伊勢神道で、
全国的に天神信仰が隆盛したのは
元から存在した邪馬台国の祭祀が
復興した事によるのでしょうか。
道真公の祟りを鎮めるための
信仰としてすげ替える事で、
鬼神信仰は隠蔽されてしまい、
人なのに天の神として祀られる
不可解な形となったのでしょう。
後に源氏が八幡神と天神を信仰し、
頼朝が伊勢神道を隆盛させたなら、
源氏もこの歴史の深層について
精通していた線は濃そうです。