道真の文章博士時代を調べると
試験問題の傾向が非常に面白く、
受験勉強との違いを感じます。
「澆淳を叙べよ」「魂魄を徴せ」
「音韻の清濁」「方技の短長」
「風俗に通せよ」「感応を分かれ」
「仁孝を明らかにせよ」「和同を弁へよ」
等が出題された事が知られています。
澆淳は社会道徳や政治哲学的の話ですが、
魂魄は儒教用語で魂と肉体を差しており、
方技は占星術や暦などの占いの比較、
感応は神に通じる精神状態に関わり、
現代教育とは根本から違っています。
天台密教僧でもあった道真公からは、
この周辺は修行の度合いの確認の
意味合いもある設問なのでしょう。
儒教教典を見れば分かりますが、
当時の占いは怪しいビジネスより
森羅万象の法則を知る学問とされ、
庶民より政治で用いられています。
陰陽師等の官僚の管轄でもあり、
それだけに偽りの情報の流すと
酌量の余地無しに処刑とされ、
現代はこのジャンルを見ると、
いかに無法地帯か分かります。
間違った情報を流す事の悪害が
非常に大きな物として扱われ、
スピリチュアルと軽く考えず、
扱うのなら腹を切る覚悟が
要求されるジャンルですね。
儒教で言語道断で処刑とされる
四種類の大罪に関しては、
秘密結社が国の支配のために
裏で行とする都市伝説でも、
使われている物ではあるので、
害が大きい事は確かでしょう。
人間や神に対しての認識が
現代とは根本から違った
政祭がなされていた事を
考えさせられる設問ですが、
現代より劣った物であるかは
一考の余地があるでしょう。
神と言っても盲目的な信仰でなく、
自らの魂を磨き神に通じるだけの
修行を積む事が重視されたなら、
江戸時代の寺子屋教育のレベルが
世界的に優れた物であった事も、
理解出来る部分があるでしょう。